国語は読解力と語彙力
最初に…この文章は「未就学・低学年の保護者の方へ」という想定で書かれています。
国語は音読が大切
本を読むことになれていない子は、目で追っているだけでは、物語の内容が「あまり理解」できません。
音読したら理解出来るのかといわれれば、自信を持って「しないよりはできます」と答えます。
理由は、目読よりも音読の方が「集中」するからです。口を動かすのもいいと思います。
なので、音読です。
低学年の子は、ゆっくりと、間違わないで読む。これも重要だと思います。
「~は、」「~を、」「~から、」など、句読点の箇所に気をつけて読む。
読んだ話について、どのような内容だったのか説明してもらうのもいいと思います。
同じ話でも、子どもと親では「全く違う」ように理解している可能性もあるので、これは重要です。
なぜそんなことになるのか。それは、大人と子どもの「語彙力」の違いだと思います。
国語は読解力と語彙力
国語の文章題は算数とは違い、「たくさん考えたから答えにたどり着けた」ということが、さほどないように感じています。
わからないのなら考えるだけムダ…という感じです。
国語って、算数のように「あーでもない」「こーでもない」と、「試行錯誤」で前に進むというわけではないですよね。
なので結局、「読解力」を鍛えるしかありません。
では、国語の読解力はどうきたえていけばよいのか? ということになりますよね。
基本的には、教科書を「毎日音読」する。お子さんの学校の教科書にそったワーク(本屋で売っていると思います。学校の宿題が教科書にそったワークになっているところもあると聞いたことがありますが、うちの子が通っている学校は違います)を「繰り返し」てやる。が有効だと思います。
ですがこの方法は、「学校のテスト」での手法です。
根本的に「読解力」を身につけるには、さまざまな問題を「経験」して、問題文のどこに「答え」が書いているかを探る力を伸ばしていかなければなりません。
国語の文章題は、基本的に問題文の中に「答え(もしくは重要なヒント)」が書いてあります。
問いに対して、問題文の中から質問されている「部分」を探り、適した答えを返す。
算数のように公式を覚えるわけでも、社会のように年号や人物・場所の名前を記憶するわけでもありませんが、それでもある程度は国語にも「必要不可欠」なものがあると思っています。
それは、「語彙力」です。
「なに」が書かれているのか。「なに」をいっているのか。「その」文章の意味は?
など、言葉の意味をしらないと、理解できませんよね。
足し算のやり方を知らないと「できない」ように、言葉の意味がわからないと、「なにを質問されている」のかがわかりません。
大人が「当たり前」のように「しっているだろう」と思うような言葉でも、子どもに確認してみると知らなかったということもあります。そういえば、教えたことなかったな…とは思いますが、教えなきゃいけない言葉なの? と思うことも。
要するに、「言葉の意味」がわからないままに国語の勉強を進めていくのは、ムリがあると思うのです。
そして言葉は膨大な数があり、使う場所や、時間や、相手によって、意味が変わってくることすらあります。
語彙力を鍛えるって、そう簡単じゃないですよね。
語彙力はどう鍛える?
どうすればいいでしょうかね。
読書というのも一つの手でしょうけど、それが有効とも思い難いです。
興味のある本とか「読みたい本」なら、それを「理解」しようとするでしょうし、わからない言葉があったら国語辞典で調べるとか大人に聞くとかするでしょうから、それは「良い読書」だと思いますけど、ただ「本を読め」というのはあまり意味がないような気がします。
いろいろな人とたくさん話をして、いろいろな経験をして、いろいろな言葉とその意味を知る。
こういう時にはこういう言葉を使うとか、これはこういう意味なんだとか自然と学べるでしょうし、これもまた、わからない言葉は質問することができるでしょう。
子どもって、興味のないことは「存在しないもの」としてスルーする傾向がありませんか?
興味のない言葉は、意味をしろうとは思わないし、わざわざ親に「教えて」なんていいませんよね(いう子もいるでしょうけど、そういう子だといいですね。教えやすいです)。
意味を知らない言葉は使えないし、どう使えばいいのかもわからない。そもそも、覚えてもいない。
言葉の意味を理解し、使うべき場所や時間を把握して、適切に使用する。
それが「語彙力」と理解しているんですが、まぁ、そんな認識であってますよね?
違ってからアレですね、「ヤバくなーい!?」「えー、ヤバイーwww」「ねー、ヤバみだよねーwww」…ですよ。
とりあえず、「この言葉の意味は?」とか「読んでみて、わからない言葉とかあった?」とか、こちらから声をかけてあげましょう。
それが「成長」への近道だと思って。
大きくなったら、自分の興味ある本とかみつけて読むようになりませんかね。ラノベとか。
とりあえず、「言葉は教えないと理解していない」と思っておいた方がいいかもです。
本を読んでいる、音読を聞いていると大丈夫っぽいと感じても、ちゃんとストーリーを理解しているかどうかは別かもしれません。
なので、お子さんとの会話を大切にしてほしいです。
朝は「おはよう」、「いってらっしゃい」、「いってきます」。
夜は「おかえり」、「ただいま」、「おやすみ」。
ご飯のときは「いただきます」、「ごちそうさま」。
そんな「挨拶」は当然として、「今日は何があった?」でも、テレビを見ていれば「どんな内容だった?」でも、何でもいいから会話を日常に取り入れると、徐々にでしょうけど確実に「語彙力」は鍛えられていくとおもいます。
まあ、当たり前ですけどね。
でも、当たり前のことを当たり前にしていると、やっぱり効果はあります。
「語彙力」を鍛えるのは、時間がかかります。少しずつやっていくしかないです。
語彙力が育っているかどうかわからないと感じても、やったことは必ず身についているはずです。
今日は「手がとどく」の意味を教えた。
今日は「岩手県」がどこにあるか、地図で確認した。
今日は、花の苗を買ってきて鉢に植えた。
明日は、何ができるかな? 何を教えてあげられる?
あなたの行動や言葉の全ては、お子さんの「語彙力」の成長になっています。
あなたと関わることで、即効性はないでしょうけど、お子さんの「語彙力」は確実に育っていきます。
やらないより、やった方がいい。
もし会話の時間が少ないと感じているのなら、お子さんが寝る前の五分でいいから、「会話の時間」を意識的に作ってみるのはどうでしょう。
言葉を操るといっても、たくさんの言葉とその意味を知らないと、使おうにも使えません。
100のインプットで、10~20アウトプットできればいいですよね。
まずは、たくさんの言葉とその意味をしることだと思います。
今回は精神論的なものではない…ですよね?
「語彙力」を育てる方法は、言葉とその意味をしって、使える言葉を増やしていくこと。
知らない言葉は、お兄ちゃんやお姉ちゃん、周りにいる大人に聞いてもいいんだと、それは「恥ずかしい」ことではなく、「したほうがいい」ことだと教える。
特に、プリントや宿題でわからない言葉があったり、文章題の意味がわからなかったら「誰かに教えてもらう」こと。それは「しなければいけない」ことだと教える。
そして、質問をされたらちゃんと答えてあげてください。
答えにくいものは、まぁ、それなりに大人の対応で。
「赤ちゃんはどこからくるの?」とか「パパはどうしてママと結婚したの?」とか「野党は具体案を提出しないで与党を責めるのは愚策だと気がついていないの? 中身のない綺麗事だけの、誰かの言葉や行動を否定するだけの薄っぺらさに国民が気がついていないとでも思っているの? 与党が全て正しいとは言わないし、だけど国というのは綺麗事だけでは進んでいけない。そんなことは、小学2年生のわたしでも理解できているのに。じゃあ、あなたたちは文句をいい、できもしない理想論を語る以外の何ができるの? 具体的に何をしてきたのって。国民が求めている野党の存在意義って、そういうものじゃないって。ねえ、パパ。そう思わない? あっ、そうだパパ。タックスヘイブンへの租税回避は企業倫理的に…」なんて質問のことです。
では、また!
(次はちょっと軽めの話題で)