テストで必要な読解力とは
最初に…この文章は「未就学・低学年の保護者の方へ」という想定で書かれています。
「読解力」が必要なのは国語だけじゃない
本を読む「読書力」と、文章問題を解くために必要な「読解力」は、別のものです。
勉強…テストに必要なのは「読解力」で、「何が書かれているか」、「何を問われているか」を把握するためのスキルです。
国語のテストには、漢字の知識はもちろん、この「読解力」を必要とする設問が多く出題されますよね。
とはいえ「文章題」は国語だけでなく、すべての教科で出題されますので、「読解力」はすべてのテストで必要になってくるとても重要なスキルだというわけです。
じゃあ、どうすればその「読解力」のスキルを入手できるのよ? ということですよね。
ゲームならレベルをあげてスキルポイントを入手し、そのポイントを使ってスキルツリーにチェックを入れれば入手できるんでしょうけど、現実世界的にどうよ? ということですよね。
ぶっちゃけ。まあ、現実世界でも大して変わらないと思うのです。
「経験」して「基礎レベル」を上げる。基礎レベルが上がると、総合的に能力が上昇していく…的な?
どうあがいても、平凡な人間には「学習」していないことはできないので学習するしかないのですが、「読解力」というのはなんとなくですが、「足が速い」とか「声がきれい」とか、そういった類の生まれながらのステータスに大きく左右される部類のものだと思うのです。
なので同じ「経験」をしても、その「成果」は「個人」によって違います。それも、「結構」違います。
感想文が上手な子に、「なんでそんなに上手に書けるの?」と聞いたところで、「?」と小首をかしげるだけでしょう。説明できる類のものではないし、そもそも自分で「上手」とは思ってないんじゃないですかね。
それは「なんでそんなに足が速いの?」でも、「なんでそんなにキレイな声なの?」でも同じです。
意識してやっていることではないのです。
ですが、「感想文」はどうしようもなくても、テストの文章を理解するのはそれほど才能を必要としないでしょう。なぜなら、「誰にでも理解できる」ように、テストの問題は作られているはずだからです。
テストで必要な「読解力」とは
教科によって違うでしょうけど、すべての教科でいえることはあります。
それは、「問題文をしっかりと読む」です。
当たり前だと思われるでしょう。自分もそう思います。
ですがそれって、お子さん「ちゃんとできて」ます?
低学年の子が問題文を「自己流」に解釈して、または勝手に文章を足したり引いたりして「間違った問い」を自分の中にだけ作り「その答え」を導こうとするのって、そんなに珍しくないですよね。
例を出すと、
「家からスーパーまでは300mです。公園は家とスーパーの途中にあって、家からは100mです。では問題、スーパーから公園までは何mですか?」
という問題があったとすると、ちゃんと文章を読んで理解できていれば「300-100=200」で「200m」と答えることができるでしょう。
ですが、「300+100=400」で「400m」と、反射的に答えてしまうお子さんもいるはずです。
この成否の差が、「テストで必要とされる読解力の差」となるわけです。
「ついうっかり」といいわけするお子さんもいるでしょうけど、その「ついうっかり」が「読解力の未熟」とされるわけです。
そしてテストは大体、お子さんの「ついうっかり」を引き出そうとする意地悪なヤツらによって作られています。
わかりやすくいうと、「自動車学校の筆記テスト」のように。
上記の問題も、「ちゃんと読んで問題を自分の中で整理できていれば簡単」という設問になっています。難しい日本語も使われていませんし、さほどトリッキーな文脈にもなっていません。
が、「家から公園まで100m、公園からスーパーまで200m」と物理的な順番で書かず、わざと「ついうっかり」を引き出そうとしているのです。
このような試しを見抜く力が、「テストで必要とされる読解力」です。
作文を上手に書くとかはまた別の「文章力」というスキルですので、ここでいっている「読解力」とは違いますし、訓練の方法も違います。
あと、国語の文章題は算数の文章題ほど「ひっかけ」の場所が簡単ではありませんし、「ひっかかったかどうか」の判別も算数より難しいと思います。
「読解力」を鍛える
では、その「テストで必要とされる読解力」は、どうやって鍛えていけばよいのでしょう。
読書をする。それも大切だと思います。
ですがそれよりも、「テスト問題の傾向をしる」ことの方が重要なんじゃないかと。
テストなんて似たような問題ばかり…小学校なんて、特にそういう傾向にあると思うんです。
ですので、たくさんの練習問題をやって「文章問題」になれる…というのが「テストで必要とされる読解力」を身につける近道なのではと。テストって、たくさん勉強した子がいい点とるもんですしね。
そんなの当たり前、知ってる。
といわれそうなんですけど、テストの問題にはある方向性というか、「普通の文章ではない」ところが多々あります。前述した「ついうっかりを引き出そうとする」という部分です。
読書…小説・物語と、テストの文章は違うんです。われわれは、散々テストに苦しめたれたもの同士なのですから、いってることわかりますよね?
テストで使われるのは、「テスト言語」であると認識する。
つまり、テストで使われる言葉を、お子さんに教える必要があるということです。
それには、様々な練習問題を経験させてあげるのが「近道」なのかなと。
低学年の時期から、たくさんの「テスト言語」に触れる。問題の傾向を、なんとなく把握する。
どれだけ間違ってもいい。だって練習なんですから。
そうやって、
「これ、前やったのと似てる! じゃあ、答えはこうだ!」
を増やしていくんです。それがお子さんの「自信」につながって、「落ち着いて文章を読める」ようになり「設問の意図を間違わなく」なるようになるはずです。
文書問題になれるまでは、算数だと図を描くのも有効です。
「家からスーパーまで300m」の簡単な図を描いて、その図に「公園は家とスーパーの途中にあって、家からは100m」を描き加えるんです。これだと公園が家とスーパーの間にあると「目で見て」わかるので、「300+100=400」などと計算することはなくなるはずです。
練習なんです。テストじゃないんです。なので、じっくりわかるまで図を描くこともできます。
「プリントに制限時間が」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、そんなものは無視してください。最重要なのはお子さんに理解してもらう、文章題になれてもらうことであって、時間内にクリアすることではありません。
まだ準備期間。だからこそ「今のうちに」
子どもの成長は、大人が思っているよりずっと早いですよね。理解してしまえば、コツをつかんでさえしまえば、これまでできなかったことも「簡単」にできるようになります。
「うちの子、文章問題ニガテだから」と思っているのなら、なおさら「あなたが寄りそって教えてあげる」ことが、ニガテを克服する近道だと思います。
低学年の子に「自分で理解してね」といってもムリです。「ニガテは自分で克服してね」はなおさらです。
そんなのは、高学年の子だって一人でできるはずありません。
誰かが寄り添い、経験させ、教え、褒め、それで「一歩前に進める」。
あなたが見据えているのは、現在よりも未来ですよね?
高学年・中学・高校・そして大学。
先はまだまだ長いです。
今はまだ、「この先」で必要となる道具の使い方を学んでいる最中です。
それには、道具の使いたかを知っている人から教わりながら覚えるのが、一番効率がいいと思いませんか?
まずはお子さんに、「家庭学習を習慣化」して家での勉強を「やって当然」のことに「日常化」してもらいます。
低学年のうちにこれができると、断然「有利」になりますよね。
そして日々、いろいろな経験を積ませてあげる。
算数・国語・生活・鉛筆の持ちかた・家のお手伝い・外でのマナー(あいさつをする、スーパーでは大声を出さない・走らない など)。
いろいろな経験です。
総合的に伸ばしていかないと、「算数はできる。でも、あいさつはちゃんとできない」なんて困ったことになるでしょうし、低学年のうちに習慣化しておきたいのは勉強だけじゃないですよね、生活でのことの方が重要ですよね。
覚えてもらうこと、教えなければいけないこと。
「あれもこれもって、そんな時間ないよ」
と、思われるかもしれません。
でも、そんなのは「錯覚」です。思い違いです。
そうしておいてください。
時間はあります。
なので今のうちに、「あなたが勉強よりも大切だと思うことを」教えておくべきだと思います。
挨拶。公共のマナー。友達との関係。
あたながお子さんに「大切」にしてほしいことを、なぜ大切にしてほしいのかをちゃんと言葉にして、「大切なことなんだよ」と伝えておくべきだと思います。
親の言葉をちゃんと聞こうとしてくれる、「今のうち」に。
あなたが大切に思っている「それ」は、きっと、お子さんにとっても大切な「なにか」になってくれるはずです。
と、まあ、そんな精神論的なものは求めていないという方もいらっしゃるでしょう。
どうすればテストで戦える「読解力」が手に入るか、ということですよね。
それは次回、「語彙力のこと」で書いていこうと思います。
では、また!