いじめは、いじめられる子にも原因がある
いじめは、いじめる側が100%悪い
ここ最近、格闘家の人が
「いじめは、いじめる側が100%悪い」
としながらも、
「いじめは、いじめられる子にも原因がある」
と発信したとが話題になっています。
また、
「やられたらやり返せ! 精神的に強くなろう!」
とも。
「いじめは、いじめられる子にも原因がある」
という意見は、私も「真っ当な意見」だと思います。否定できません。
「いじめは、いじめられる子に責任がある」
というのなら、それは「絶対にちがう」と思いますけど。
でも普通、「いじめは、いじめられる子にも原因がある」なんて、「大人」は口にしません。
「小学生・中学生のいじめ」という「学校内での犯罪」は、個々の事案で「構成」がちがっていて、「原因」なんていい始めれば「どれだけでも作り出せる」から、「被害者に原因はない」なんていい切れません。
そう、原因なんて「どれだけでも作り出せる」。
だから、「誰もがいじめの被害者となる原因を持っている」わけです。
残念ですけど、
「これを解決すれば、世の中からいじめがなくなる」
なんて「もの」は、存在しないと思います。
少なくとも、「今」は。
「そんなこと」は大抵の人がわかっているはずで、だから「大人」は、
「いじめは、いじめられる子にも原因がある」
とは口にしません。
その「言葉」は、
1.「いじめを正当化するために使われる」可能性がある
2.いじめられている側が「そっか…自分が悪いから、いじめられてるんだ…。じゃあ、しょうがないよね、ガマンしないと。ガマンして、いじめられないといけないんだな…」と思ってしまう可能性がある
このことを、大多数の大人は理解しているからです。
「やられたらやり返せ」
というのも乱暴で、それができるなら「いじめられていない」んです。
お金がない人に「いっぱい働いて、お金持ちになればいいじゃん」とか、「高卒だからさ、あんまり仕事に選択肢がなくてさ」という人に、「今から東大に入って学歴を身につければいいじゃん」というのと同じで、とても乱暴で傲慢で弱者を見下した意見です。
というか「原因」なんて、「そういえばあれが原因だっのかも?」という「過去にあるもの」で、それを「いじめが起きた後」にどうこういうのは、あまり意味のあることとは思えません。
いじめ=犯罪
「いじめ=犯罪」なのは間違いのないことですが、「犯罪」だからこそ、「学校」が「いじめ」を認めることは難しいです。
ただ単に「教育関係者がクズ」なだけかもしれませんけど、それでも「いじめ」を認めると「問題が大きくなる」ことは間違いありません。
本来なら「学校内のいじめは、無条件でポリス沙汰」と決めてしまえばいいし、実際そうしている学校もあると思います。
でも「加害者」が「大人」なら「即ポリス」で問題ないでしょうけど、「加害者」が「子ども」の場合は、デリケートな対応にならざるをえないこともあると思います。
理由は、「子どもの犯罪」は「どう育てられたか」が関係してくるからです。
「加害者」なんでしょうけど、それでも「ちゃんと教育されていない被害者」でもあるというわけです。
大人だろうが子どもだろうが、「いじめ」は「加害者が100%悪い」というのは、多くの大人の間で「共通認識」となっているはずです。
とはいえ「いじめ」って、「これがいじめだよ」という「決まり」がないですよね。
「被害者がいじめとおもえばいじめなんだ」
という意見もあるでしょうし、多分「それも」間違っていないでしょうけど。
でもそれって、「いろいろな事情を無視してならいえる」ことですよね。
少し、私の昔話をします。
今から20年以上前、行きつけのセブンイ○ブンで普通に買い物をした私は、お釣りに「偽物のお金」を渡されました。
まぁ「パッとみで偽物」ですからね、お店の人に、
「これ、おもちゃですよね?」
といって返したわけです。
当たり前ですけど、「本物のお金」を渡したんだから、本物のお金でお釣りをもらいたかったわけです。
そのときは、「なんかの間違いだろうな」と大して何も思わなかったんですが、そのあと私はセブンイ○ブンに「犯罪者扱い」されました。
「何が起こっているのか、理解できない」という状況です。
何回か会話したこともある店長さんが、すごい形相で私を犯罪者だと罵るわけですから。
私を犯罪者と決めてかかる店長さんに対し、私は何度も、
「防犯カメラを確認してもらえればわかる」
といいましたが、
「そんなもの確認しなくても、お前は泥棒だ!」
みたいにどなられ、話しになりません。
「じゃあ、警察を呼んでください。私が悪いというなら、監視カメラの映像を見た上で警察に判断してもらいましょう」
といいましたけど、それも拒否。
警察呼ばないなら、どうしろというの?
という意味のない押し問答が始まったところで、後ろにいたおばさんが、
「わたしも見てたけど、店員さんがこのお兄さん(私)に偽物のお金を渡した」
という感じで私に加勢(周りの野次馬に説明)してくれて、警察も呼んでくれました。
だって「監視カメラの映像も確認しない」、「警察も呼ばせない」なんていうセブンイ○ブンの対応は、明らかに変ですからね。
で、程なくして警察到着。近くに交番があったため。
警察が来た途端、勢いがなくなる店長さん。
私が「あったことをそまま警察に説明」して、偽物のお金も警察官に渡しました。
警察官が、
「この人(私)はこういっているけど、それで間違いない?」
と店長さんに尋ねます。店長さんは、
「もういいから帰れ! 今度やったら次こそ警察に突き出すぞ!」
と私を脅したので、私は警察官に「徹底的に調べてください。まずは監視カメラの映像から」と伝えました。
それから、もう店長さんが暴れるのなんの。
なんだかんだあって、店長さんの奥さんまで現れて大騒ぎ。
なんか支離滅裂で、警察に対しても「監視カメラの映像は見せられない」の一点張り。
ここまで多分、偽物のお金を渡されてから15分くらいかと。
野次馬は消えましたが、私に加勢してくれたおばさんはそのままいてくれました。
で、私にとっては「大事件」なんですが、警察官は明らかに面倒くさそうでした。
多分、こんなことは「よくあるトラブル」で、「日常茶飯事」なんでしょうね。
もちろん私も、お腹空いてたし面倒くさいなと思い始めてました(お腹が空いたから、最寄りのコンビニにお弁当を買いに来たわけですし)。
「ちゃんと調べると、時間かかるよ? どうしたいの?」
と警察官。この言葉で、少なくとも警察官が私を疑っていないことは理解できて、安心したのをおぼえています。
「とりあえず、謝罪してもらえればいいです」
ということを警察官に伝え、それを警察官が店側に、
「謝ったら許してくれるみたいだから」
と伝えたんですけど、なんか店長さんの奥さんが発狂。
で、
「もうこれ以上は話にならないから、キミは帰りなさい。辛いだろうけど、忘れた方がいい」
と警察官にいわれて、釈然としないまま帰宅したんですけど、結局「お釣り」はもらえませんでした。偽物のお金も、警察の人に渡してしまいましたし。
後になって、
「セブンイ○ブンは謝罪してないんだから、また悪いのが私だといい始めたらどうしよう」
と思い、それからほぼ毎日、私は「その店長さんがいるとき」を見計らってセブンイ○ブンにいき、買い物をしてお釣りをもらうたびに、私が「被害者」だということをわかってもらえるように、
「今日は偽物のお金じゃないんですか? 侮辱罪ってご存知ですか? ごめんなさいっていうと死ぬんですか?」
みたいなことをいい(まだ若かったので、血気盛んだったのです…)、それを「店長さんがごめんなさいというまで続けよう」としましたが、数週間続けても「ごめんなさい」はおろか、これまではいってもらえていた「ありがとうございました」の一言も聞けず、でもなんか「大丈夫そう」なので「普通の客」に戻りました。
その裏で私は対応してくれた警察官にも何度か会いに行き、「本当に大丈夫なのか。私が罪に問われることはないのか」を数回確認して、その度に「もう忘れなさい」と投げやりにいわれました。多分、何回も来られて迷惑だったんでしょう。
で、結果的にですけど、警察官のいった、
「もうこれ以上は話にならないから、キミは帰りなさい。辛いだろうけど、忘れた方がいい」
は正解だったわけです。
これって、セブンイ○ブンからしれみれば、「私にいじめられた」ことになるんですか?
だって私は、あの頃は「苛立ちの言葉」を持って「買い物に通って」いましたから。
それとも私が、「セブンイ○ブンにいじめられた」んでしょうか?
だって私は、あの頃は「また悪者にされるかもしれないという恐怖」を与えらえて、すごいストレスを抱えていたんですから。
今になって思えば、
私「これ、おもちゃですよね?」
店「うわ、マジで? 誰かが子どもから受けとっちゃったのかな? うわー、ごめんねー」
で済んだ話なんですけど、それが「うまくいかなかった」からトラブルになったわけです。
これに関して「私にある原因」は、「渡された偽物を黙って受けとり、そのまま警察にかけこまなかったこと」だと思います。
「犯罪は無条件でポリス沙汰」
でよかったんです。
お釣りに偽物のお金を渡すことは「犯罪」なんですから、店員にわざわさ「これって間違いですよね?」なんてやらずに、「即ポリス」が正解だったわけです。
でも私は「店側の勘違いだろう」と、こんなのは大したことじゃなく、わざわざ警察にどどける必要はないと勝手に思い込み、それがトラブルの「原因」になったわけです。
この件に関して、私は「私が被害者」だと思っているのですが、それでも「原因を作ろう」とするなら私にも「原因」はあり、
「いじめは、いじめられる子にも原因がある」
は成り立ってしまうわけです。
だからこそ「いじめは、いじめられる子にも原因がある」という言葉は、大人が「子ども」に…「被害者」だろうが「加害者」だろうが、「いじめ」に関わってしまった「子どもたち」に、伝えるべきじゃないと思います。
理由は上記した通り、
1.「いじめの免罪符となる」
2.「自己にいじめらている責任を刻んでしまう」
からです。
本来なら「原因」に「良い・悪い」はないんですけど、子どもは「お前に原因がある」といわれれば、「自分が悪いのかな」と思ってしまうんじゃないかな。
加害者の子どもも、「やっぱり、いじめられるヤツが悪いんじゃん」と思ってしまうんじゃなかな。
「原因」という「言葉」は、「悪い意味」があるようにとられがちだと思うので。
辛い話ですが、「いじめに解決策がある」のなら、世界から戦争はなくなっています。
多分、もう何百年も前に人類は世界平和を手に入れ、みんなで協力して「平和」に暮らしていると思います。
「いじめが悪いこと」とわからないなら、それは「人」ではない
「いじめる人」がいないのなら、「いじめ」は存在しません。
「いじめが悪いこと」とわからないのなら、それは「人」ではありません。
でも「子どもたち」は「未成年」で、完成された「人」ではなく、「いじめが悪いこと」であると、本当の意味で理解できるでしょうか。
だから私は、「子ども同士のいじめ」を解決するには、「人である大人」の介入が必要なんじゃないかと思います。
はっきりいえば、国が「子どものいじめ問題専門部署」みたいなのを作るべきだと。
もちろん作るだけじゃ天下りの温床になるので、「適切に運用できる人材を配置する」との前提でですけど。
「いじめる人」がいないのなら、そこに「いじめ」は存在しない。
でも子どもたちに、「それがいじめである」ということがわかるんでしょうか。
大人なら「経験から」これは「いじめ」と理解できるでしょうけど、「経験値の低い子どもたち」が、どこからが「いじめ」なのか、どこから「してはいけないこと」なのか、そんなことわかるんでしょうか。
「被害者のケア」
「加害者のカウンセリング」
「なぜ、いじめにいたったのか」
個々の事案での「解決」をはかる必要があるし、それにはとても繊細な心配りが必須でしょう。
大人の犯罪とは違い、
「悪・即・斬」
とはいかないわけです。
「大人のいじめ」はただただ「いじめるヤツがクズ」なので、「証拠をつかんで即ポリス」で間違いないです。
生活に多少「影響」は出るかもしれませんが、「我慢してこじれる」よりはマシだと思います。
あと、やるなら「完全に証拠をつかんで、弁護士に相談して、社会的に抹殺できる準備をして」からやるのがいいと思います。
相手に家族がいようが、子どもの友達の親だろうが、「いじめるヤツはクズ」なので「自分の人生から排除」した方がいいと思います。
いじめているヤツも、「その覚悟を持っていじめをしている」ので、何の問題もないです。
でも「子どものいじめ」は、「加害者の子ども」も「何かしらの問題やストレス」を「いじめをするようなクズな大人」から「与えられている」ことが容易に想像でき、「加害者の子ども」も「ある意味では被害者」であることが少なくないかと。
だからといって、「いじめの加害者」になっていいわけじゃないですけど。
とはいえ実際のところ、「学校内のいじめ」で「行動を起こさないとけない」のは、圧倒的に「被害者」の方が多いと思います。
「なんで? 悪いのはあいつらでしょ?」
と思うでしょうし、私もそう思いますけど、でも「それが現実」なんです。
「なぜ?」
「どうして?」
という疑問はとりあえず忘れて、私が「辛いだろうけど、忘れた方がいい」と警察官にいわれたその言葉が「正解」だったように、「理由」を探す前に「行動」することがこの場合の「正解」だと思います。
「悔しい」
「理不尽だ」
と感じるでしょうし、「負けたくない」ですよね。
でも、違うと思います。
「いじめをしてくるヤツに、合わせてやる必要なんかない」
私はそう思います。
ヤクザが道の真ん中をオラオラしながら歩いていたら、避けますよね。
それは「逃げ」で「負け」じゃないですよね。
「賢い選択」なはずです。
「どうせ学校や先生は役に立たない。学校はいじめなんて認めない。つげ口して、もっと状況が悪化したらどうするの?」
子どもがこう思うのは仕方ないですけど、「親」がこう思うのは間違いです。
「親」は「行動すべき」なんです。
「どうすればいい?」
「誰を頼ればいい?」
「自分たちでは、どうしようもない」
そうだ!
「いじめられている子が変われば、いじめはなくなるかもしれない」
「話せばわかる。コミュニケーション!」
いや、それはほぼないと思います。
「原因」なんて「いくらでも作り出せる」し、そもそも「いじめっ子」は「何か大きな理由があってそうしている」わけじゃないし、まず「いじめっ子」は「いじめる対象」とコミュニケーションを取ろうとはしない。
あなたの周りにいる「いじめをしているクズ大人」は、「いじめる対象」とコミュニケーションをとりますか? コミュニケーションですよ? 一方的な押し付けじゃなく、相互のやり取りができるクズですか?
多分ですけど、「クズはいじめる対象とコミュニケーションはとれない」。
「とらない」んじゃなくて、「とれない」んだと思います。
「言葉が通じないから、対話での解決が不可能」なので、「いじめらている」という「現実」があるのなら、まずは「そこ」から離れる必要があると思います。
「子ども同士のいじめに、子どもを矢面に立たせて、真っ向から立ち向かうべきじゃない」
まずは逃げて、安全を確保する。
できることは、それから考える。
もちろん「復讐」じゃなく、生活の「再構築」をです。
医師やカウンセラーの力をかりて心の傷を癒し、できるなら「格闘技」を習うのもいいでしょうし、頭を鍛えるのもいい。
もちろん、「自分を変える必要はない」と思うなら、何も変える必要はない。
ただ私は、
「いじめに対して、子どもは自分から行動できないし、黙って助けを待っていることも多い」
とも思っていて、その「助けが」ない場合、最悪の結果になってしまうんじゃないかと思うわけです。
そして子どもたちが「最悪の結果」を選らんでしまう理由として、子どもたちは「いじめっ子を死ぬほど憎んで」そうするわけじゃなく、
「自分はダメな人間で、このままだと、大切な家族に迷惑をかけてしまう」
という、見当はずれだけど痛々しい理由によってが多いと思います。
だから、「見当はずれ」だからこそ、「それは違う」と伝える必要があるし、「私たち」は、「違う」「そうじゃない」ということを、子どもたちに行動によって示す必要があるはずです。
だから、子どもたちは「そう考えて」しまうから、子どもたちが「自分を責めやすくなるような言葉」は、絶対にかけるべきじゃない。
結局のところ、「いじめられっ子」に届く言葉はなく、ただ「救出」こそが必要で最善だと。
「ああしろ(自分を鍛えろ)」
「こうしろ(コミュニケーションを取れ)」
「どうなの?(自分にダメなところはない?)」
なにを伝えようが言葉に「強制力」や「解決力」はなく、「その子が動けない」のなら、「親」が、「大人」が「逃がして」あげるべきだと思います。
特に「1対多数」のいじめだった場合、そんなのに立ち向かえる子はいないし、心を壊されない子もいないし、現状「対抗策(いじめっ子は保護者ともに牢獄に監禁とか、法律で)」がない以上、「立ち向かう」ことは得策ではありません。ヤクザのオラオラと同じです。
「いじめには原因がある。それは被害者もにある」
まぁそうでしょうけど、だけどその「原因」を取り除く必要はないでしょう。
というか、取り除いて解決するわけでもないでしょうし。
「いじめには原因がある。それは被害者もにある」
けど、
「いじめは100%、いじめをする加害者に問題と責任がある」
のは間違いないといいたいし、私は「いじめと戦い苦しんでいる子」に、
「いじめは、いじめられる子にも原因がある」
なんて言葉をかける大人が、いなくなればいいと思います。
たとえ、「いじめは、いじめる側が100%悪い」と前置きしながらも、「いじめで苦しんでいる子に、さらに責任を感じさせるような言葉」は、絶対にかけるべきじゃないと。
とりあえず、
法律で断固たる措置をとればいいでしょ!?
そのための政治家でしょ!?
とは思いますし、「いじめっ子」認定されたら「いじめっ子専用矯正学園」みたいなところに集めて、専門の教育プログラムで良い方向に導いてあげることはできないんですかね。
頭のいい、コミュニケーション能力に秀でた官僚なら、いくつか解決策を提示してくれると思いますし(そのために国民が税金で雇っているわけだし)、政治家にはその解決策を実務レベルに押し上げてもらいたいと思います(そのために国民が税金で雇っているわけだし)。