本年もよろしくお願いします。あけおめ

ごあいさつ

新年。あけましておめでとうございます。
2021年が始まりました。
世界的に。
もちろん名古屋も、2021年になりました。
お正月は元日に近所の神社に初詣に行き、ミスドの福袋を買い…そのくらいですかね、取り立ててどこかに出かけることもなく、家族そろって家でのんびりと過ごしました。
で、子どもの学校や私の仕事もぼちぼちと始まり、このサイトの作業もそろそろ始めようかなという感じです。
年が改まっても新型コロナは大変なことになっていて、首都圏は「緊急事態宣言」が発令されるみたいですし、愛知県(名古屋)も時間の問題なような気がします。
とはいえ私の身近でコロナに感染した人はいませんし、私的には「仕事が減った状態が続いている」ということが一番大変で、そしてそれがいつ改善されるのか見当もつかないことが一番のストレスになっています。
新年しょっぱなから景気が悪い話ですね!
でも世界がこんな状況で「名古屋だけ景気がいい」とはいかないでしょうし、今は「どうにか耐える」しか私にとれる選択肢はないですけど。
で、まぁこんな感じなので、大人は心配ごとが多くなっているでしょうし、不安もあるでしょう。子どもたちも、いろいろと不安でストレスを抱えているでしょうし、うちの子も「友達と自由に遊べない」という不満を抱えているみたいです。
小学校では授業に制限がつくようで、学校では「リコーダーは吹かないし、体育も試合はしない」と息子がいっていました。
こうなると「リコーダーは家で練習」となるわけで、「下手な音色が鳴り響いてうるさい」という弊害が私を襲って困りごとが増えます。
小学校では「通常授業」に加えて「英語」や「プログラミング」も始まって、この異常事態での先生たちは「仕事が増えて大変」でしょう。仕事が増えたからといって、簡単に給料が上がるとは思えませんし。
大変ということは、先生たちが「子どもたちに割ける意識の割合が減ってしまう」のは考えるまでもないことで、そして仕方のないことです。
その「減ってしまった部分」は、私たち「保護者」が家庭でフォローしなくてはいけない部分になっているわけで、「平常時」のように「学校でどうにかしてもらえる」という意識を変えないといけない部分だと思います。
「リコーダーが下手なまま」というのもそうですし、それ以外にだって「私たち保護者が意識していない部分」で子どもたちの「成長の妨げ(学校で教えてもらえない、やらせてあげられない)」になっていることも、たくさんあるんだと思います。
特に低学年の子は「そういう部分」が多くなっているでしょうし、中学年・高学年にだって「学校でやっておくべきこと」はいろいろあって、それができないというのは「ちゃんとやっている子とやらせてもらえない子」で「教育の格差」になってしまうでしょう。
「頑張った子」が「上に行く」のは当然で、それは正しいことなんでしょうけど、今の状況は「頑張りたくても何を頑張ればいいのかわからない子」を作ってしまっているようにも感じます。
うちの子もそうですけど、何というか「いろんな経験や体験」という大切な「教育」を「ちゃんとさせてあげられていない」という気がします。
うちの子なら去年は、「田舎のおじいちゃんと田植えをして、自分が植えた稲を刈り取る」という経験をする予定でした。で、結局それは「中止」になってしまい、「おじいちゃんの作ったお米おいしーな」だけで、「ぼくが植えて刈り取ったお米おいしーな」にはならなかったわけです。
一つひとつは「しょうがないよな」で済まされるかもしれませんが、「それ」が積み重なってしまうと「しょうがない」では済まされない「未体験」や「未経験」を作ってしまうと思います。
子ども時代の「体験」や「経験」は、大人とは比べようもないほどに「大切」で、それは「大人」である私たちは「わかっている」と思いますし、やっぱりいろいろな「良い体験」や「良い経験」をした子の方が「将来的に大きく育つ」はずです。
「じゃあ、どうしろっていうの?」
と思うでしょうし、私もそう思っています。
だって「正解」なんてないでしょうし、かといって後になって「あの時ああしておけばよかった」と後悔しても意味のないことだし、結果を見てから「ほらー、私は最初からああしておけばよかったと思ってたんですよー」といってしまえるような恥知らずにはなりたくないし、自分の子どもにもそんな大人になってほしくないので、私は「どうしていいかわからない」と正直にいいます。
でも私たちが「平常時以上に子どもたちに意識を使ってあげないといけない」ということは「わかり」ますので、子どもたちに「何か良いことをしてあげたいな」と思って、今年もこのサイトを運営していこうと思います。
では、ことよろ。

Posted by みそぱぱ