最近思ったこと

2021年3月9日未分類

今回は「暴言」です。ちょっと怒ってます。

私は結構がんばって「自粛」している方だと思います、
少なくとも仕事関係の連絡は完全にオンラインで、1年以上仕事関係の人とは「物理的に接近」していません。
外出や外食も控え、できるだけ外に出ないように暮らしています。
もちろん収入は激減していますし、生活も苦しいです。
でも新型コロナウイルスを蔓延させないためには必要なことで、それが「子どもたち」のためになると、自分でも「それ」はがんばれると思ってやっていることです。
でも、現在の日本の首相であらせられる菅義偉さまは、

「生活が苦しいのなら、最終的には生活保護がある」

というようなことをおっしゃったわけです。
「あぁ、そうですか…」
と思いましたね。
政府がいろんな補助をしているのはわかってますよ。首相がいっているのがその先の「生活保護」であることも、ちゃんと理解しています。
「生活保護」が国民の権利であることもわかっているし、私はウメザワトミオではないので「生活保護」を受けている人を見下す意識はありません。
本当に苦しい人を助けるための、国民同士で助け合うためのシステムなんですから、利用しないと生きていけない人は利用すべきだし、ウメザワのいうことなんか無視して、恥ずかしいと思う必要もないです。

「生活が苦しいのなら、最終的には生活保護がある」

自国の首相がそういうんですから、公務員は全て無給にして溜め込んでいる財産の全てを国庫に返納させ(今は国の非常時なんですから公僕なら同然ですよね)それで生活が苦しくなったというのなら生活保護を受ければいいし、旅行や外食業界への補助金も受け取った分は全て返却してもらって苦しいのなら生活保護を受けて貰えばいいし、社員を出社させてコロナウイルスを撒き散らしている会社には過去に遡って罰則と罰金を与えればいいしそれで苦しくなるのなら生活保護を受ければいいし、Gotoを利用して旅行や外食をした人たちも社員を出社させてコロナウイルスを撒き散らしている会社やその正社員と同罪なんですから過去に遡って罰則と罰金を与えればいいしそれで苦しくなるのなら生活保護を受ければいいし、別に生活保護は権利なのではじることではないので、まるで「生活保護を受けるのは恥ずかしいこと」かのように「自分勝手な意見」をさも「常識」のようにぶちまけているマスコミや芸能人は「悪いこと」をしたんだから放送権と財産を没収して「生活が苦しいの? 生活保護があるよ?」と教えてやればいいと思います。

でもまぁ、
「経済を回さないといけないから」
といってた人たち。
経済なんか回す必要なかったじゃないですか。
だって「苦しいのなら生活保護がある」んだから。
だから日本国中の全ての経営者は1年以上前には社員を全て解雇して、「新型コロナを蔓延させないために、弊社は今日をもって終わりにします。仕事がなくって苦しいのなら、生活保護を受けなさい」というのが正解だったわけで、でも実際はそんなことにはなってないので、少なくとも一度でも公共機関を利用して出社したり仕事で移動した全ての会社とその正社員は今からでも遅くないので「コロナウイルスをばらまいてごめんなさい」と謝罪して財産を全て国庫に送るべきだし、そうしないのなら「新型コロナウイルスで死んだ人や苦しんで居る人は、自分が必要もないのに経済を回そうとして外にでてばらまいた新型コロナウイルスで殺したり苦しめたりしている」のだという最低限のことは心に刻んで一生償って反省すべきだと、「全ての政治家の代表」であらせられる菅首相はおっしゃったわけです。
「経済を回さないといけないから」
「政府と与党野党全ての政治家は、そのような戯言はゆるさない」という立場であることを「全ての政治家の代表」である首相が明言されたわけなので、まぁ「絶対に許さない」でくださいね。
「経済を回さないといけないから」
そのような理由で会社を動していた経営者や正社員たちには、新型コロナウイルスを撒き散らしていた「犯人」なんですから例外なく罰則と罰金を与えてほしいし、
「経済を回さないといけないから」
そのような理由で「特定の業種」にばらまいた税金は取り返してほしいし、ばらまこうと決めた人たちと実際にばらまくために動いた(お金が発生する作業をした)人たちには「厳しい処分」をくだしてほしいし、
「経済を回さないといけないから」
テレビなどでそのような「間違った扇動」を「放送」した関係者は、例外なく「厳しい処分」をくだされるべきだし、これらの「処分」を「全ての政治家」は、即座にスピード感を持って実行すべきです。
だって、

「生活が苦しいのなら、最終的には生活保護がある」

んでしょ?

…と、まぁ。
「極論・暴論」はここまでとして、
国民の代表である政治家のそのまた代表である首相が、

「生活が苦しいのなら、最終的には生活保護がある」

といってしまったのは、
「比較的がんばって自粛してウイルスを拡散しないようにくらしている一般市民」が「このような暴論」を吐いてガスぬきしないと「なんかむかつく」状況なわけです。
政治家を選んだのは国民なので、じゃあ「悪いのは国民じゃん」という理屈もわかるんですけど、
「政治家にそんなことをいわれたくて、毎回選挙にいっているわけじゃない」
という個人的な思いもあります。
あのね、菅首相、政治家のみなさん。
「一般国民」にとって、
「生活保護を受けるのは悪いことじゃない」
というのと、
「生活保護を受けないと生きていけないのは、辛いことじゃない」
というのは「同じ」じゃないんです。
あなたたちのように、
「他人が痛くても自分は痛くない。だから私が気に病む必要はない」
と感じている人の方が少数派なんです。
普通の大多数の人は、「誰かが痛がっていたら、自分ができる範囲で痛みを和らげてあげたい」と思っているし、実際に行動に移す人も少なくないんです。

「生活が苦しいのなら、最終的には生活保護がある」

一国の首相レベルの人が「そう思う」のはいいし、そういう高い次元で未来を創っていくのは間違ってないとは思うんですが、それでも、

「生活が苦しいのなら、最終的には生活保護がある」

というのは、今の「この状況下」で「政治家が口にしていい言葉ではない」と、私は思います。
これまで積み上げてきたものをなくし、生きていくために国に保護を求めることを「苦しい」とか「悔しい」とか「情けない」と思うことって、そんなに「想像もできないほどおかしなこと」ですか?
「生活保護を受けるのは悪いことじゃない」
しっているし、わかっています。
でも、だからって、
「生活保護を受けたい」
なんて、思うわけないじゃないですか。
「誰も」が「普通以上に」生きていきたいんです。
「誰か」よりも「劣ったと思えてしまう生活」は、「誰も」がしたくないんです。人なので。そういう生き物なので。
誰が好き好んで、「こんな苦しい世界」を望んでいるんですか?
「私たち」が「この状況」を「望んでつくった」とでも思っているんですか?
「医療従事者」はすごいですよ、がんばってくれています。
私たち「一般市民」だって、必死で生きてます。外出することに、出社することに、店を開けることに、完全に「後ろめたさを感じない人」の方が少ないはずです。
「公務員」だって、「学校の先生」だって、「学生」だって、「子ども」だって、「苦しい」よりも「楽しい」方が「好き」なんです。
「自分が悪いわけじゃない」のに、「これまで積み上げてきたもの」をなくすことを許容できる人…「あー、なくなっちゃった。まーコロナだしな、しょうがないな。生活保護でも申請しようかなー」なんて思える人が、どれだけいるっていうんですか?「生活保護」って、そんなに「簡単」じゃないですよね?
少なくとも「今の新型コロナで大変な世界」を、「自分が悪いせいでこうなっている」と思っている一般人は、ほぼいないと思います。
菅首相、政治家のみなさん。
「あなたたちが悪い」と思っている国民は、本当のところいません。
でも「自分が悪い」と思っている国民も、本当のところいないんです。

「生活が苦しいのなら、最終的には生活保護がある」

この言葉を聞いた私は、
「自分が悪くもないのに、なぜこれまで積み上げてきたものをなくさないといけないんですか?」
そう思いました。
「なくしちゃっても生活保護があるし、まぁいいか」
少なくとも私は、そんなこと思えませんでした。

「生活が苦しいのなら、最終的には生活保護がある」

この言葉は政治家の「考え方」ではあるでしょうけど、「今の世界の状況に関して自分に落ち度はない」と思っている私には、「人のセリフ」とは思えないんです。
今、この状況下で、自分の国の首相には「いってほしくなかった言葉」なんです。
もちろんこれまで私がいってきたことは、「私のわがまま」です。
政治家は、私の期待に応えるために存在しているわけじゃない。
でも全ての大人がそうであるように、政治家も「子どもたちの未来を守る」ためには存在しているんです。
菅首相や、国会でウイルスを撒き散らす可能性があるのにヤジを飛ばしまくっている野党の姿を見せて、
「この人たちが、パパやママやお前の未来を考えてくれている、この国の偉い人たちなんだよ」
と、私は息子にいえません。
「こんな人たちを選挙で選んでしまって、申し訳ないな」
と思ってしまうんです。
私の父は私が子どもの頃「政治家(首相)は偉い人」だといってましたし、その「父が偉いという人が兄と同じ名前だということを、私はちょっと嬉しく」も感じたわけです。
だから何?
というわけでもないんですが、私が息子に、
「今の首相は偉い人なんだ。パパやママが選挙で(間接的にだけど)選んだんだ」
といえないのは、ザンネンな気がします。
結果的に、最終的に「そういえる」ようになってくれることを、望んではいますけど。

では、今回はちょっと「キッ」となったもので。
またです。

Posted by みそぱぱ