【無料の学習プリント】小学3年生の算数ドリル_たし算とひき算2

2020年5月14日3年生・算数ドリル3年生, たし算, ひき算, 算数

今回のプリントは、「小学3年生の算数ドリル_たし算とひき算2」です。
小学3年生の算数ドリル_たし算とひき算1」の続きです。
小学3年生の算数_たし算」、「小学3年生の算数_ひき算」に対応したドリルとなっています。

3年生 算数ドリル14 たし算とひき算2
サンプル問題です。問題PDFでは全4ページ分。
下記よりDLしてください。

「文才」は「個性」

算数は、一つずつ順番に進めていくことで、理解を深めていくことができる教科です。
ということは、どこかで躓いてしまうと、いずれ「わからない」箇所が出てくるはずです。
ですが、躓いたところまで戻って復習することで、一気に理解を進めることができる教科でもあります。
社会や理科のように、「記憶する」ことが重要ではありません。
「記憶」よりも「理解・しっている」が重要になる教科です。
なので、私たち保護者がサポートしやすい教科でもあります。
「わからない」なら、「教えてあげる」ことができるからです。
「しらない」なら「憶えて」という、「記憶」してもらわないとどうしようもない教科とは違います。
算数に関しては、手伝えるところは、手伝ってあげてもいいですよね。
その方が、子どもたちも力を伸ばしやすいでしょうから。
でも「読書感想文」とかは、どうなんでしょうかね。
「ひどい」と思いながらも「自分でやらせた方がいいのか」、「多少は手伝ってあげてもいいのか」、どっちがいいのでしょう。
私は「多少は手伝ってあげる」方の親だと思います。
そうしないと、いつまでたっても終わらないからです。
ですが「自分で書ける子」は、「誰か」が手伝わない方がいいと思います。
親が読んで意見を言うのも、やめた方がいいと思います。
だってその「感想」は、本を読んだ「本人」のものだから。
「感想文を自分で書ける子」なら、技術的なことはアドバイスしていいと思いますが、思想的なところには踏み込まない方がいいと、私は思います。
「こう思った」「こうすればいいのにと思った」「こうしていれば、こうなったのに」
というような、「感じた」部分のことです。
その子が「感じた世界」は、その子のものです。
誰かが勝手に、「余計な思想」を溶かし入れてもいい「世界」じゃないです。
ですが、うちの子のように「書けない子」は、どうしましょう…。
多分、教えたり練習したところで、「書ける」ようにはならないでしょうね。
なんとなくですが、「はっきり」わかります。
あまりにも、子どもの頃の自分と違いすぎるから。
うちの息子を見ていると、「文章を書くこと」に「苦痛」を感じているのがわかります。
息子と同じ年くらいの自分は、「文章を書くこと」が「楽し」かった。
誰に何もいわれなくても、ノートに「自分の世界の物語」を書いていました。
読書感想文を書けない子は、「本を読んだって、何も思わない」のだから、書けるわけがない。
そのことは、私が読書感想文の代筆をしていた友人たちから、教えてもらいました。(私は友人と、夏休みなどの宿題の苦手分野をシェアしていました。5人分の感想文を書く代わりに、ポスターや漢字の書きとりからは解放されるという冴えたやり方)
「本を読んでも、何も思わない。感じることも、考えることも、何もない」
そういわれたことは、幼い私には「理解できない」ことでした。
本を読んだらその物語について、「あそこであのキャラは、どうしてああしなかったんだろう?」もしくは「どうしてああしたんだろう?」とか、「あの時、あのことが起こらなかったら、あの子はどうなっていたんだろう」などと想像するのは、私には「読書とセット」になっていたからです。
こういう感性や思考や行動は、きっと「生まれつき」のものなんでしょうね。
顔がいいとか、足が長いとか、運動ができるとか、歌が上手いとか、そういうものと「同種」の「個性」なんでしょう。
うちの子は、明らかに「書くことが苦手な子」ですし、「本を読んだって、何も思わない」タイプの人間です。
技術的に「こうすればそれっぽく見える」という、大して意味もない感想文なら、感想文の書き方みたいな本を見ながら「書き写す」ことはできるでしょうけど、それをやらせることに意味は感じません。だったら私が、感想文の書き方を教えます。
だけどちゃんと自分で「書ける子」は、保護者が余計な口出しをしない方が、結果的には伸びるでしょうね。
そう思います。

では、また!

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Posted by みそぱぱ