【無料の学習プリント】小学5年生の算数ドリル_単位量あたりの大きさ2

2021年10月23日5年生・算数ドリル5年生, 平均, 算数

今回のプリントは、「小学5年生の算数ドリル_単位量あたりの大きさ2」です。
小学5年生の算数ドリル_単位量あたりの大きさ1」の続きです。
今回下で説明していることは、長々と書いておりますが『「わからない」なら「図」を描こう』と見出しそのままのことです。
今週末にも「全国統一小学生テスト」がありますが、算数では問題をいかに図やグラフに描きおこせるか、というのも一つのポイントになってくるかと思います。

5年生 算数ドリル22 単位量あたりの大きさ2
サンプル問題です。問題PDFは全3ページ分。
下記よりDLしてください。

「わからない」なら「図」を描こう

高学年にもなると、算数は複雑化した問題が出てくるようになります。
「問題文を読んだけど、なんだかイメージしづらい」とか。
この「イメージしづらい」というのは算数では「天敵」で、なので「イメージしづらい」のなら「イメージしやすいように図にする」という作業が、とても大切になってきます。
「わかりやすいように図を描く」というのは、「ややこしい計算は筆算でとく」と同じで、「間違わない(答えを正確に導く)」ためには「やった方がいい」ことです。
「算数」は「正解を答える」教科ですけど、鍛えているのは「どのように考えるか」という部分です。
このサイト「みそにゃch」では、算数に関しては「教科書よりはちょい難しい」というレベルの問題を意識して作っています。
それは教科書レベルの問題に意味がないということではなく、少し大変だけど「考えれば解ける」という問題を経験することで、「問題解決への視野」が広がると思っているからです。
これは特に「図形」の問題で顕著になり、「補助線を引く場所」や「図形を広げて考える」など、ある程度「応用力」が必要な場合、「高難度」の問題の解き方を知っていることで、「問題を広い視野で捉えられる」ようになります。多分ですけど。
「よくわからない問題」の「考え方」を図として構築し、自分で「納得」することは、思考の「道すじ」を自分のものにするのに有効で、要するに算数では「レベルの高い問題が解けるなら、レベルの低い問題は初見でも解ける」ことが多く、それは「漢字や言葉の意味を知らないと文章が読めない」とか「地名がわからないと問題が解けない」とかいう国語や社会とはちがって、算数が「どう考えれば正解できる?」を問われる教科だということに起因しています。
「記憶しないといけない」教科と違い、算数は「過程」を問われる教科です。
もちろん「公式や方程式、考え方や方法」はおぼえないといけないんですが、それはただの「道具」で、大切なのは「道具を適切に選んで使える」ことです。
木を切るのは「ノコギリ」で「ナイフ」ではなく、「大木」を「ノコギリ」で切ったことがあればその木が「名前も知らない初めてみる木」でも、「普通の木」として「ノコギリ」で切ることはできますよね?
私的には「中学受験しないなら先取り教育に大した意味はない」と思いますし、普通に勉強を進めていくだけなら、せいぜい「1学年上」の勉強に触れるくらいでいいと思います。
小学校高学年の勉強の仕方は、「中学受験」をするかしないかで「まったく違うもの」になるでしょうし、その受験だって「どれだけお金をかけられるか」によっても違ってきます。
なので「勉強の仕方に正解なんてない」し、子育てにも正解はないです。
「五感を刺激する遊びをすれば、思考力が成長します」とか、「健康にいい(有機製法の材料で使った)お菓子を与えていれば、頭のいい子に育つ」ということが書いている本を読んだことがありますが、それはただの「※個人の見解です」で、「正解」ではないはずです。
それに「いい子に、優しい子に育てる」とも、教育関係の本にはよく書いてありますけど、「盲目的にいい人」や「誰にでも優しい人」って、私のようなひねくれた人間から見たら「すごく利用しやすそうな人だな、悪い人に騙されないといいけど」と思えますし、私よりも「悪事に抵抗がない人」からは「絶好のカモ」に見えていると思います。
「優しい」とか「思いやりがある」とか、そんなのは「人」として備わっている方がいいに決まってますけど、その上で私は、自分の息子が「誰もやりたがらないことを率先してやる子」には「ならないよう」に気をつけてます。
「誰もやりたがらないこと」を「誰にもいわれなくてもやる人」は、どんどん「面倒なことを押しつけられる」ようになりますし、そして「労力に見合った評価をされる」こともなくなります。
だって「それがどんなに面倒なこと」か、「やってない人にはわからない」からです。
わからないからそれが「どんなに大変な仕事」でも、他の人にしてみれば、
「アイツが軽くやってくれるんだから、まぁ大した仕事でもないんだろうな。誰も何もいわなくてもアイツがやってくれるんだから、ああいうことが好きなやつなんだろうな」
と、その程度の感想しか与えることはなく、「その程度の仕事」を誰も評価なんてしません。
「自分がやるべきこと」は必ずやるべきですが、「誰かがやるべきこと」を「自分がやるべきこと」と錯覚してしまうような人は、ただの「おひとよし」で「利口ではない」と思います。
例えば「重いものを運ぶように先生にいわれた子」がいたとして、「自分の手が空いて」いたら「重そうだね、半分持とうか?」といえる子にはなってほしいけど、「荷物運びを変わってあげる」ような子には、なってほしくないわけです。
「情けは人の為ならず(人助けは、周り回って自分を助けることだよ)」
というのはわかりますけど、その「情け」のかけ方を根本的に間違ってはいけないと思うわけです。
少し話がずれましたが、
「算数でよくわからないときは、図を描いて考えよう」
ということを、いいたかったのです。
大切なことなので。

では、また。

問題PDFはこちら

解答PDFはこちら

Posted by みそぱぱ