【無料の学習プリント】小学5年生の計算ドリル_小数のわり算
今回のプリントは、「小学5年生の計算ドリル_小数のわり算」です。
小数点をいくつずらすかをプリント内で問題として出しています(2枚目以降)。これは、先の「小学5年生の計算ドリル_小数のかけ算」でもやっています。
また5年生でも、1年生で習った「くりあがり」、「くりさがり」を今だに間違えることがあります。
この「計算ドリル」ではそういう現状を踏まえ、あえて計算間違いしやすい問題を散りばめています。
各プリントの間違いを確認していくと、その子の苦手な箇所、傾向が見えてくるのではないでしょうか。もし苦手が見つかったらそこを直せばいいとアドバイスできるでしょうし、間違いがない子であれば、計算の練習は十分足りているということです。
教えられたことは素直に聞いて、自分の力にしていこう
勉強って「やらないと死ぬ」わけじゃないですけど、現代の日本において基本的には「やるべきこと」だと思います。
以前にも何回か書きましたが、勉強も運動も同じなんですけど、「目標」や「目的」がないと「進んでいく」のは難しいですよね。
「勉強してどうするの?(どうなるの?)」と曖昧な意識で勉強するより、
「こうなるために、勉強をがんばる」
といったように、「本人に目的意識(目指そうとする場所)」がある方が、確実に「進んでいける力」は強くなるはずです。
正直なところ、低学年や中学年の小学生が、この「目標」を自分の中に設定するのは難しいと思います。
一言でいうと「世間知らず」ですからね。
まぁ子どもですから、「それ」でいいんですけど。
それに「世間知らず」な状態は、「無意識に素直」にもなりやすでしょうし。
ですけど高学年にもなると、「自我」というか「自意識」というか、「これが自分だ」という「曖昧だけど無視できない」ものがそれぞれの人の中に育ってきます。
誰だってそうですよね。
「自分」は「自分」で、「それ以外」ではないという「認識」です。
で、その「自分というもの」が、世間の常識や周りの大人と違うこともあって、「他人のいうことを素直に受け入れられない」という状態になってしまうことがあります。
「思春期」とか「反抗期」とか、そういう「言葉」で表されるものです。
これらは「人としての成長」には必要なものなんでしょうけど、「勉強を進めていく」のには「すごくジャマ」になるものだと思います。
これも以前に書きましたが、勉強を「効率よく進めていく」ためには、
「教科書や授業の内容を、素直な心で吸収して効率よく自分の力にしていく」
ということが、とても大切だと私は思っています。
理由は、
「教科書や先生は、必要なものを必要だから教えてくれている」
のであって、わざわざ「成長の阻害」のために教科書があり先生が存在しているわけじゃないからです。
教科書に書いてあることは「勉強を進めて学力を高めるために必要」なことで、先生たちは「その手助け」のために存在している道具です。
「先生が嫌い」とか「苦手」とか「ろくな人間じゃない」とか、まぁそういうこともあるでしょう。
まともじゃない教師も少なくないでしょうしね。
でも「そういう二次的」なことは置いておいて、「効率よく勉強を進めて学力を高めていく」ためには、
「疑いなく教えを学んでいく」
ことが、「その子」のためになると思います。
これは本当に、すごく思います。
「教師に感謝」する必要はないし、「育ててもらっている」と思う必要もない。
教師だって「自分の給料のため」にやっていることですから、そんなにありがたがる必要はないでしょう。
でも、
「素直に教えを聞いて、教えられたことを疑いなく自分のものにしていく」
ことは、とても大切だと思います。
基本的に、「授業で習うことを疑う」必要はありません。
塾など「お金を払ってまで教えを請う」なら尚更です。
「教科書にかかれていること」や「授業で習うこと」は、正解とか不正解とか、必要とか不必要とか、「自分には必要ないもの」とか「自分の考えとは違う」とか、そういう「疑い」を持つ必要がないものです。
「学力をつけるために必要なもの」
として、「素直」に受け取っておけばいいです。
この「事実」は、とても「ありがたい」ものだと思います。
世の中には「疑ってかからないといけないこと」が、とても多いですから。
ですが前述したように、高学年にもなると「自己」や「自意識」といったものが生まれ、「自分の考えとは違うもの」を排除していくようになります。
「嫌いな先生の担当教科は苦手になった」
という人も、少なからずいると思います。まぁこれは、「中学生」の話でしょうけど。
「嫌いな教師」でも「授業内容」だけでいえば、「学力を向上させるために必要なこと」を話しているはずです。
それが「そいつの仕事」ですからね。
「有能」か「無能」か「普通」かはあるでしょうけど、それでも「嫌いなあいつがいうことだから、素直には受け取れない」というのは、「子どもたちにとって損」になることです。
なので「勉強に関して」いえば、
「教えられたことを、教えられた通りに学んでいく」
というのは、「子どもたちのためになる」ことのはずです。
この「素直に学んでいく」というのは、私は勉強を進めていく上で「重要な第1段階」だと考えていて、これまでも何回か同じようなことを書いているのですが、「学校で教わった」ことは「オレはそうは思わないな。こうした方がいい、オレ的に」などとは思わないで、「素直に、教わった通りに」覚えていってもらいたいです。
それが学力向上に、とても「効率的」な方法だと思うので。
せっかく「勉強する」のなら、「効果的・効率的」に進めていけた方が、絶対にいいと思います。
では、また。